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​北見教会の沿革

 北見教会は、高知教会(現日本基督教団)信徒・坂本直寛が率いる北光社移民団を基にする。彼らはキリスト教信仰に基づき、1897年に当地に最初に入植した群れである。入植の3年後1900年5月25日に中田米太郎、前田駒次、山下連蔵、武藤喜平次、市村柳吉の5名が市村宅に集い、公的に礼拝を開始した。

 1901年にG.P.ピアソン宣教師(米国長老教会)が来訪するなか、1903に北光社講義所開設に至り、橋本宗之進伝道師や西村拙三伝道師らによって教会の基礎が築かれた。1913年に市内3条東2丁目に新会堂を建築。翌年8月にピアソン宣教師夫妻が旭川から野付牛(北見)に転居し14年に亘り支援し、訓子府や置戸に講義所を設けた。なおピアソン宣教師の住居(W.Mヴォーリズ設計)は現在ピアソン記念館として北海道遺産に登録されている。

 大井上武牧師、米谷梅一伝道師、原田幸六伝道師らが尽力し、1922年2月5日に野付牛教会を建設。その後、福島春太郎神学生の応援に続き、春名定雄伝道師、細木綾男牧師、内田康一伝道師らが歴任。なお無牧師時代の1932年に他派の巡回伝道者の介入により、教会分裂と混乱が生じた。

 1935年に三好新蔵牧師を迎え、1939年市内2条東2丁目に会堂移転。野付牛幼稚園(現北見幼稚園)を開設。当地域で最初の幼児教育施設となる。大戦末期には会堂が軍部に接収され、1945年三好新蔵牧師と唐笠学長老がスパイ容疑で逮捕され、網走刑務所に投獄される。

 1942年野付牛町は北見市へ市制を施行、1948年に教会名を北見教会に変更。同年に就任した佐々木義雄牧師は、戦後の混乱期の教会形成に尽力し、1951年の日本基督教会結成に加わった。なお、日本基督教団時代の1950年に置戸講義所開設届を出し、現在の置戸教会(現教団)となる。

 1957年に就任した小池創造牧師は34年間仕え、1969年に北斗町2丁目に会堂を移転。1992年に黒田浩史牧師が就任し2009年まで仕え、2013年に森下一彦牧師が就任、現在に至る。

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