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今月のメッセージ

「霊から生まれた者」

​ヨハネによる福音書3章1~15節

日本キリスト教会 帯広教会牧師 竹井 剛

 この箇所は、主イエスとニコデモという人物の有名な対話のお話です。 ニコデモはどのような人物でしょうか。彼はファリサイ派に属し、神の掟を重んじて、一生懸 命それを守ろうとする熱心な信仰者でした。またユダヤ人の議員であり、ユダヤの最高法院 (サンヘドリン)の一員で、旧約聖書に精通した優れた教師でもありました。経験豊かな老 人として、宗教指導者の中でも最高峰の立場にいた人物です。

 そのニコデモが「夜」、主イエスのもとを訪ねてきました。なぜ夜だったのでしょうか。当時の 主イエスは、ファリサイ派や当局からすでに「要注意人物」として見られており、そこへ訪ね ることは、ニコデモにとって地位も立場も財産も失いかねない危険な行為でした。ですから 昼間、人目のある中では行けなかったのです。しかし「夜」という時は、ニコデモの内面の状 態をも表しています。律法を守ることに一生懸命であればあるほど罪の自覚が生まれ、「このままでは神の国に入れないのではないか」という苦しさ、暗闇の中にいる心の状態です。 ガラテヤ書3章24節に「律法は私たちをキリストのもとへ導く養育係になった」とあるよう に、律法がニコデモを主イエスのもとへと導いたのです。ニコデモは主イエスに礼儀正しく 挨拶しました。しかし主イエスは彼の心の内をご存じで、すぐに本題を語られます。ヨハネ 2 章 25 節に「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられた」とあるように、私たちの悩みも苦しみも悲しみも、すべてご存じです。そこに慰めがあります。

 主イエスは「はっきり言っておく」と言われました。原語では「アーメン、アーメン」です。こ の言葉をニコデモとの対話で三度も繰り返しながら語られました。これは神の真理が明かさ れるときの言葉です。その真理とはこうです。「人は新しく生まれなければ、神の国を見るこ とはできない」(3節)。また「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ること はできない」(5節)。この言葉を聞いたニコデモは戸惑いました。「年をとった者が、どうして 生まれることができましょう」と。彼には霊的な意味が理解できなかったのです。主イエスは こう言われます。「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である...風は 思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らな い。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(6‐8節)。

 主イエスは霊を風にたとえて語られました。「風」と「霊」は、ヘブライ語でもギリシャ語でも 同じ言葉です。この新しい誕生は、聖霊によって起こされます。風は目に見えませんが、その音によって風が吹いていることを知るように、聖霊は目に見えなくとも、その声は聞こえま す。その声こそ、聖書の言葉、イエス・キリストの言葉です。ヨハネ 6章 63節「わたしがあな たがたに話した言葉は霊であり、また命です」。ですから、今日の御言葉があなたの心に届 くとき、聖霊が働き、あなたのうちに新しい誕生が始まるのです。

 その聖霊の語る言葉、御言葉の中心が、主イエスの十字架です。今日の御言葉では 14、15 節です。ここで主イエスはその救いの中心を、旧約聖書の出来事を用いて語られま す。「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じ る者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」(14-15節)。
これは民数記21章にある出来事です。イスラエルの民が荒野でつぶやき罪を犯したとき、 毒蛇が彼らを噛み、多くの者が死にました。神はモーセに命じました。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る」(民数記21:8) と。見上げる者は生きた。ただそれだけです。 主イエスはこれがご自身の十字架を指していると語られます。「人の子も上げられる」。それ は十字架に上げられること、そして同時に栄光を受けることでもあります。十字架という、最 も低く惨めな場所で上げられたイエス様を仰ぎ見ること、それが救いです。「自分を変えるこ と」ではなく「見上げること」。「努力すること」ではなく「信じること」。 荒野の民が青銅の蛇を見るのに資格は要りませんでした。噛まれた者が見る、ただそれだけで癒され、救われたのです。同じように、罪に捕らわれている私たちが十字架のキリストを見上げるとき、聖霊によって新しく生まれ、永遠の命が与えられ、神の国の民とされるのです。

 私たちは聖霊が指し示す御言葉を通して、罪のただ中で私のために死んでくださったイ エス・キリストを見上げ、信じます。そのとき、不思議なことが起こります。聖霊の働きによっ て新しい誕生が起こり、神の国の民とされるのです。 北見教会の枝とされた兄弟姉妹ひとり一人は、すでに霊から生まれた者とされています。こ のことを心から感謝し、神を讃えていきたいと思います。

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