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『主は生きておられる』

 

ルカによる福音書24章6節

教師 久野真一郎

 

 わたしたちは、主のご復活を心に刻む復活節を迎えています。十字架に死なれた主は三日目に復活され、墓を出られたのです。復活とはいわゆる蘇生ではありません。もし蘇生であれば、主の御からだは再び朽ちることとなり、朽ちることのない命への道は開かれなかったことになります。けれども主イエスは死に勝利され、朽ちることのない永遠の命への道を開かれたのです。 

 ルカによる福音書は、他のどの福音書よりも丁寧に主の復活を記しています。24章の直前のところには、アリマタヤのヨセフという議員が、主イエスの遺体の引き取りを願い出、彼は遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、真新しい墓の中に納めました。一方ガリラヤから主イエスの一行についてきていた婦人たちは、ヨセフの後について行き、主イエスの遺体が納められた場所を見届けたのです。彼女たちにとって愛する者との別離の悲しみは深く、丁寧な葬りを願っていたに違いありません。 

 けれどもときはすでに夕刻であり、安息日が始まろうとしておりましたので、彼女たちは家に戻って香料と香油を用意し、安息日が明けるのを待ちました。何としても主イエスのご遺体に香料を塗って差し上げたい、その思いでいっぱいだったでありましょう。ですから彼女たちは安息日が明けた週の初めの日の早朝、準備していた香料を携えて墓に駆けつけたのです。 

 ところが、思いがけない事態が彼女たちを待ち受けていました。2~3節のところですが「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」とあります。墓の入口の石は、何者かによってすでに転がされていました。婦人たちは何が起こったのかを理解出来ず、途方に暮れてしまいます。しかしそのとき彼女たちのところに輝く衣を着た天の御使いが現れ、恐れて地に顔を伏せている彼女たちに「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」と告げたのです。そうです。十字架に死なれたお方は、今や眠りについた人たちの初穂として甦られました。すなわち、朽ちることのないからだで甦られ、墓を出られたのです。墓へ墓へという思いを募らせていた彼女たちでありましたけれども、二人の御使いの促しにより、以前主イエスが話されていたお言葉を思い起こすこととなります。すなわち「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている。」と述べておられたお言葉です。 

 こうして彼女たちは主イエスのお言葉を思い起こすと共に、主の復活の最初の証人として十一人の弟子たちをはじめ、ほかの人皆に一部始終を知らせます。10節にはその彼女たちの名前が「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」と記されています。彼女たちを突き動かしたもの、それは「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」との御使いの知らせでした。そして今、わたしたちも、同じ御言葉を聴いています。主は朽ちることのないからだで甦られ、墓を出られました。わたしたちは主の復活のからだを着せられる希望に生きる民です。ですから「終わりの日まで、今もこれからも朽ちることのない命の希望を証しする民であらせてください」と祈り求めて参ろうではありませんか。

2025年4月20日 イースター礼拝説教

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